こんにちは、なみきです。
ここのところコロナ報道漬けの毎日…気が滅入っちゃいますよね。楽しいことってないかな。
私もとりあえず、移さない&移されないように、できるだけ人と会うことや外出することを控えています。
家にいる時間がほとんど…という状態になってしまったある日。ふと気づいたことがあります。
コーディネートがまったくイメージできなくなっている……!!!!
実はスウェット人間である私
実は私、家の中で着るものがものすごく適当なんです。ラクさ一点重視。着すぎて多少ボロくなっていようと、そこまで気にしません。
そして、ただでさえモチベーションのあがらない“スーパーに行く”というイベントにはエネルギーを一切使いたくないので、ほぼ部屋着そのままの恰好で近所のスーパーに行ってしまうんですよね。

わかってはいたんです。スーパーにいる人の中でダサい人決定戦があったら毎回ぶっちぎりで優勝して殿堂入りしてしまうぐらいのダサさだと。
これでもいちおう服のインスタやってるっていうのにね。服好きなんてよく言えたもんだ。
みんなスーパーに行くだけなのに、ちゃんとコーディネートして服を着ているんですよね。ほんと尊敬します…。
もはやマインドからダサい問題
そんなふうに、一日の大半を過ごす家の中だけでなく、数少ない外出先であるスーパーでさえ部屋着で済ませてしまうズボラな私。
コーディネートがイメージできなくなってしまったのは【自分=ダサい部屋着姿】というセルフイメージが定着してしまったからではないかと思いました。
まずい。これは非常にまずい。
脱・ダサダサマインドをめざして
このままではいけない!という危機感から、まず長時間を過ごす部屋着から変えてみることにしました。着崩したパーカーから、

今っぽいカラーのパーカーへ新調!
…パーカーからパーカーかよ!?
と思われたかもしれませんが、やはり私は部屋着に極力お金をかけたくないし、無駄な気を遣いたくないのです。
思いっきりゴロゴロできて、犬に噛まれても気にしなくていいぐらいの頑丈さはマスト。可愛いけど寒い部屋着とか論外なのです(※個人の感想です)
でも、新調したことでなんとなく気分には良い影響が…!!
こうやって、長時間身を包むものが自分自身をかたちづくるのかもしれません。世の女子たちが部屋着や下着にまで気を遣う意味があらためてわかった気がします。
まだ着れるからと言っていつまでも着古した部屋着を着ていてはいけないのだなぁ…と自分の貧乏性にも反省。
スーパーに、なに着てく?
部屋着を新調して、よりスーパーにそのまま行ける格好にな……ってそれでは今までのまま!!!
お出掛けの機会が少なくなった今、ただのスーパーだっておしゃれを楽しむ貴重なイベント。センスを磨く恰好のチャンスです。これは全力でめかしこまなくては。
その効果はいかに…!?

背筋が…背筋が伸びるぞ……!!!
これまで私は、おしゃれ=人に見せるものという意識でいたと思います。まるで変身するかのように、相手に合わせて自分を装っていました。
近所のスーパーなんて知ってる人にそうそう会いませんし、特に注目もされません。
しかし、気分を上げてくれる服を身にまとうことで、いつものスーパーに向かうモチベーションも底上げされたように感じられました。
おしゃれは自分のためにする
だれかのためにではなく、自分のためにおしゃれをする。
身体に服をまとったとき、同じく心にも服をまとっています。なにもいいことがないときだって、まるでスペシャルなお出掛けの日みたいにおしゃれしたら、脳がだまされてめちゃくちゃ幸せな気持ちになれるかもしれません。…もはや錯覚かもしれませんが。
繰り返しの日常の中にも、そんなふうに楽しみをみつける気持ちが大切なのではないでしょうか。
知らんけど。