思うこと

アクセサリーと私の気持ち

このブログを開設してから一年の月日がたちました。更新はぜんぜんしてなかったのですが…!

はじめた当初は「素敵な」WEB読みものをめざして、有益な記事をたくさん書いていこう!!と張り切っていましたが、その思いとは裏腹になにも書けない日々でした。

口下手な私。なにか書かないことには世界とつながることもできない。共感を得られなさそうな内容でも、もっと力を抜いて書いていこうと思いました。ここはインターネット上の私の家なんだから…いいよね。

というわけで以下、敬語はナシにします。
どうか靴を脱いでおあがりください。

アクセサリーとわたし

私はアクセサリーを身につけることにちょっと抵抗がある。

センスよくアクセサリーを身につけている人に憧れる気持ちはある。私も服が好きなので、服のバランスを取るためアクセサリーが必要になり、たまに買ったりする。

でも、やっぱりしまいこんだままになりがちなのだ。憧れているのは、それは自分自身とは別物であることの証明だ。

なぜファッションが好きなのに、アクセサリーをつけることに抵抗があるのだろうか?ちょっと考えてみた。

身体的な違和感

たとえば結婚指輪。既婚者の多くは文字通り肌身離さず薬指につけていると思う。実は私も、石も飾りもつけずシンプルなデザインの指輪を作ってもらい、いちおう持っている。

しかし、この指輪の定位置は、リビングの入り口にある小引き出しの中。うちの結婚指輪は基本的に年がら年中ここにずっと眠っている。

アクセサリーを身につけているとき、常に「付けている」感覚もいっしょに身につけている。

慣れてしまえば気にならないのかもしれないが、なにか異物を身につけている感覚にストレスを感じてしまう。特に家にいる時間は極力ストレスフリーでいたいため、最大限の脱力スタイルを保持していたい。家ではアクセサリーは…付けないというか付けられない。

夫もたぶん、同じ理由でめったに結婚指輪を身に付けない。二人で出かけるとき「たまには付けるか」と私が提案しなければ、おそらく未来永劫、私たちの指輪は眠ったままなのではないかと思う。今となっては作る必要あったのか…なんて考えたりもしている。

いつもだれかを想うためにお揃いのアクセサリーを身につけるのって、うっとりするような美しい文化だと思うし、身につけていなくても心の中で同じ指輪をしているというのもそれはそれで素敵なことだと思う。

必要のなさ

自分で言うのもなんだけれど、私にはむやみやたらに真面目な部分がある。

子どものころや、高校生のときなど、アクセサリーを付けることは大人目線で「ませている」「校則違反」などと言われた。

子どもと大人のはっきりした境界線などなく、大人もみんな歳を重ねた子どもなのだが、私は明らかに子ども時代の感覚を引きずったままでいる。今現在の私はどう考えても大人と呼ばれる年齢なのに。

無意識に、自分がアクセサリーを身につけている状態が目上の人から咎められるのではないかと不安に思っているかもしれない。近い理由でお洒落をすることに抵抗がある人もいるのではないかと思うけれど、服好きを公言する私、確実にあなたの同志。

服というものは、全裸でいるわけにもいかないので「着なければならないもの」。アクセサリーは付ける「必要のないもの」。

私の中にしつこく残るそんなボーダーラインが許す範囲で、アクセサリーを身につける人と同じ自己表現を図ろうとしている、そんな気がしている。

女性性への距離感

アクセサリーを身につけるのは女性だけではない。しかし男女共通で多くの人がアクセサリーを身につける理由は「男らしさ・女らしさを強調するため」ではないだろうか。自分が身につける上でここに、自意識過剰だとは思いつも、どうも心理的抵抗がぬぐえないのだ。

(懐具合をアピールするためにアクセサリーを付ける人もいるかもしれないけれど。それもまた強調する仕草のひとつであって、女性性だけでなく強調すること全般に自信が持てないのかもしれない。)

物心のついた小学生〜中学生のころから、ショートヘアが多かった。飽き性なのでたびたび髪を伸ばすことはあっても、どうしても自分らしくない気がして結局バッサリ切ってしまう。伸びた髪を切ると、いつも自然な姿に戻った気がしてホッとした。

そんな子ども時代、私はパンツばかり履いていた。たまにスカートを履くと無性にソワソワして着替えてしまう。

実はいまだにスカートが苦手だ。それに気がついたのは恥ずかしながらごく最近のことで、モデルの女性に憧れてスカートを買うものの手が伸びるのはいつもパンツ。女性らしさを物語るスカートは、本来の自分自身からは離れたところにある存在だった。

メイクに積極的になれないのもまた同じ理由からだと思う。メイクは女性が自分の人生を楽しむためのものであると理解しつつも、どうもコスメ売り場に足が向かない。基礎化粧品だけしっかりと、メイクはいつも最低限だ。

話が逸れたようだが、そんなような理由でアクセサリーの存在は等身大の自分からはちょっと遠い。20代の頃がんばってしていたネックレスはもう全然しなくなってしまった。抵抗の少ないイヤリングやバングルは服のため身につけるけれど、玄関のドアをくぐったら真っ先に外す。

自分を飾るということ

言うまでもなく、アクセサリーは素敵だ。

アクセサリーそのものもすごく魅力的だし、そんな素敵なものを自分の一部に取り込むと化学反応のように魅力が何倍にもなる、魔法の装備アイテムだなと思う。

自分のためにアクセサリーを身につける人も多いのかもしれないけれど、私にとっては「人からどう見られるか」という意識のほうが大きく、それがアクセサリーとギクシャクした関係のままでいる理由かもしれない。

でも「人に向けてどう演出するか」がアクセサリーの持つ大きな役割なのだから、それもしかたがないなとも思う。

知らんけど。

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