こんにちは、なみき…書房です。
また「これはずっと本棚に置いておきたい」と思える本に出会えたので、ご紹介します!
今回おすすめするのはこんな本
はい、言わずと知れた「ミニマリスト」関連の本ですね。2015年の本なので今更なのですが…。
まだ読んだことのない方、「ハイハイ、ミニマリストね、りょうかーい」とあしらわず、あらためて読んでみてほしいんです…人生のヒントになりそうな素敵な考え方がいっぱい詰まっていたので。
もともとミニマリストに興味がある方はもちろん、自分はミニマリストと縁遠いと思っている方にも一度最後まで読んでみてほしいんです。
そもそもミニマリストとは?
持ち物を最小限にし、身軽に過ごすことをモットーとしている人々。ガランとした何もない部屋に住み、毎日の掃除をかかさず丁寧に暮らしている。
ミニマリストの方にも様々なタイプがあるようなので、少々乱暴なまとめかたで申し訳ないですが、おおむねこういうイメージの方々ではないでしょうか。
このような認識でいた私があらためてこの本を読んで、ミニマリストについて知った気になっていたかもしれないと思い知らされました。
「少ないモノで生きる」ことの奥深さ、なぜ人は良くも悪くもミニマリストという存在が気になってしまうのか。
そんな疑問や、ミニマリストについてのぼんやりとした理解が、読むとクリアになる。ぜひ最初に読んでほしいミニマリストの教科書だなと感じました…。
分厚いけれど、中身の濃ゆ〜い本なんです。
この本を手にしたきっかけ
私は、とにかく疲れやすい。
フルで働いている訳でもなく、他の人と比べたら全然ゆとりがあるはずなのに、いっこうにラクになる日が来ない。
週数日のパートとはいえ、短い時間の中でその場を回しながら与えられた大小のプロジェクトを進めなければならない仕事による疲労とプレッシャー。
心休まる楽園のはずなのに、無限にTODOが山積みの家。やっつけてもやっつけても永遠に終わりのない賽の河原である日々の家事は、365日休みなどない。それに加えて「いつかやらないと」と思っている大きな家事も常にたくさんある。
癒やしであるはずの、愛犬。犬と暮らすと犬中心の生活になり、かなりの時間と体力を奪われる。ようやく一息つけると思ったその貴重な時は、待ち構えていた犬のために捧げなければならない。
そして、イラストのお仕事、Instagramの更新、ブログの更新、スマホケースの新デザイン考案、やりたいことは山程あるのだが、これらがズシリと肩にのしかかる存在感は決して軽くない。
…なんか愚痴のようになってしまった。
そんなこんなで私は、だいたい夜中に地面にくたばっていることが多い。気力体力を使い切って、風呂に入ることもできず、動けないので寝ることもできない。
そんなマラソンのような日々の中、私を癒やしてくれるもの。それは、毎日のZ◯Z◯TOWNの割引セールのチェックと、なぜだかミニマリストの動画を流し見することだった。
動画の中のミニマリストの部屋は、どれもスッキリと片付けられており…というかモノ自体が圧倒的に少ない。そんな有様を見ていると、なぜだか胸がス〜ッとするのだった。
ある日、いつものように床から這い上がった私は深夜のリビングを見回し、ゾッとした。
これだけたくさんのモノを動かしたりケアしたり、ほぼ私ひとりで管理しているというのか……。
「減らしたい」
なにを減らしたいのかわからないけれど、とにかく減らして余白が欲しい。心の奥から湧き上がってきた、叫びに似た想い。
「ミニマリスト 本」で検索したときに真っ先に目に入ったのが、この挑発的なタイトルの本だった。
ミニマリストって「捨てる」ことじゃない
ミニマリストとは、その修道僧のような潔い生き方に憧れの眼差しを向けられるとともに、一部の人から拒絶されてしまいがちである。
それは、彼らが「捨てる」ことにフォーカスされがちだからではないだろうか。
日本では「もったいない」という言葉に表れているように、物を大切にする精神が根付いていており、多くの人にとって捨てることは罪悪感を生むからだ。
古くから、割れた茶碗を金継ぎしたり、大切な着物を次の代に受け継いだりしてきた文化は日本人の美徳だと思う。
はるか昔、モノのない時代は確かにあった。モノが少ないからこそ、ひとつひとつを大切にする気持ちと時間の余裕があり、当然ほどよいスペースの中で生きていた。しかし現代はどうだろうか。
中国から来た言葉らしいが、「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉も、また私達にはなじみ深い。
人生に「かたをつける」
捨てなさい、と言われると耳が痛い。
もともと私は、ちょっとしたものでも「いつか使うかも」と心配になり、捨てることができない人間だった。
私が20代の中頃にベストセラーとなっていた、こんまり先生こと近藤麻理恵さん著『人生がときめく片付けの魔法』。何気なくこの本を手に取ったことで、初めてモノを手放すことができるようになった。
こんまり先生の主張はいたってシンプル、「今、ときめくものだけを残す」ことだ。
この本と、『ぼくたちにもうモノは必要ない』どちらも共通して伝えているのは、「今あなたは何を大切にして生きているのか」を探そう、という前向きなメッセージ。
かつての私が「いつか使うかも」と溜め込んでいるモノは、すべて過去そのものだった。モノを捨てて片付けることができない、つまり過去の自分にカタを付けられていない。
大切なのは捨てることではなく、なにを残すかということ。捨てる…というより重荷をすべて手放すことによって、これがクリアになる。
たくさんの不必要なモノや情報、タスクで埋もれてしまった状態から、余計なものを削ぎ落とすことで、はじめて見えてくることがある。
決して、ミニマリズムの本質は捨てることではないのだ。
日々に押しつぶされてパンクしないために
本書にも出てくるが、どんどん進化していく文明の中で人間は何万年も前からそこまで進化していないという。
神様がいたとして、「ニンゲンにはこれだけのスペックがあれば十分だろう」と思った処理機能の、もはや何倍のモノコトを詰め込んで私達は日々生きているのだろう…そう考えるとちょっと恐い。
私達はもう何年も前から、増えすぎた容量を減らすべき時期に来ているのではないか。
この著者のたどり着いた哲学に触れ、私もそんなことを感じざるを得なかった。
自分をみつめなおすための余白
あらためてミニマリズムとは、ただモノを減らすことではない。モノを減らして、自分を見つめ直す心の余白をつくることだ。
それは単純に住居のスペースであったり、日々の時間であったりするだろう。
本書の言葉を借りると、ひとつモノを所有しているだけでそれらはメッセージを発し続けるという。
テレビがひとつあれば「録画した番組が溜まってますよ。ホコリも払ってほしいなぁ」、素晴らしい機能付きの調理家電があれば「最近、料理してませんよね…?外食ばかりでは健康に悪いですよ??」といった具合に。
実際に呼び掛けてくる訳ではないが、それぞれのモノにはこんな存在感がある。私達はそんな彼らに囲まれ、無意識にメッセージを受け取り続け、その処理に追われ、埋もれていくというのだ。
モノ達との出会いは、たいていどれも素晴らしかったと思う。買ったそのときは、たしかに満たされた気持ちになっていたかもしれない。
けれど、たくさんの最高の出会いで作り上げられたはずの家は、自分自身は、今現在輝いているかというと…必ずしもそうではない。
著者が自らの失敗談を折り込んだ本書は、私達がモノを求め、所有しようとする心理についても深く切り込んでいる。
この本を読み終えたとき素直に私が感じたことは、意外にも、こんなことだった。
いつまでたっても理想通りになれない自分にも、普段つい不満を持ってしまう家族にも、実はなにも足りないものなどなかった。百点満点だったのだ。
あっ…これタイトルになってるわ。
最初に読んでほしいミニマリストの教科書
無限に増えたモノコトを完璧にさばき、そのすべてをちゃんと管理することはニンゲンには不可能だろう。いや、コンピューターにも容量がある。
そして、生きている時間は有限だ。
私達は「足りない」「増やそう」というメッセージの荒波の中、生きている。その波にさらわれてしまわないよう一歩一歩進むためには、コツがいる。
そんな生き方のコツのひとつとして、きっとこの本は役に立つのではないかと思う。
知らんけど。