先日、宇多田ヒカルさんがInstagramにて自身のことを『ノンバイナリー』と表現したことが話題になりましたね。
なみき
最近『LGBT』とか『フェミニズム』とか、ジェンダーに関する話をよく聞くけど『ノンバイナリー』ってなんぞ???
『ノンバイナリー』ってなに?
調べてみたところノンバイナリーとは、男性でも女性でもなく性別にとらわれない存在という意味があるそうです。
ノンバイナリー(non-binary)とは、(身体的性に関係なく)自身の性自認・性表現*に「男性」「女性」といった枠組みをあてはめようとしないセクシュアリティを指します。
バイナリーとは、ジェンダーバイナリー(男性か女性の二択のみで、生物的性で性別を分類する見解)から来ています。これが無い、つまり男女二元論にとらわれないというのが、ノンバイナリーの意味するところの核心です。
引用:Job Rainbow Magazine
『Xジェンダー』は性自認が
- 中性(男性と女性の間)
- 両性(男性でも女性でもある)
- 不定性(男性・女性が変動する)
- 無性(男性でも女性でもない)
これらをひっくるめた総称で、『ノンバイナリー』とは性自認が男性・女性どちらかに限定されないという共通点がありますが、分類の仕方が少し異なります。
え〜なんだか難しそう???
さまざまな用語があり、知らない横文字がたくさん出てくるのでうろたえますが、人それぞれの感覚を尊重し合えていれば完全に理解しなくても大丈夫だと私は思います。
実は、この宇多田ヒカルさんのニュースを見てまず私が感じたのは「もしかしたら私もノンバイナリーかも?」ということでした。
なんとなく宇多田さんに親近感があるのはそのせいかも…!?
私がめちゃくちゃ好きなアルバム
もしかしたら私も…?
自分も『ノンバイナリー』という属性に当てはまるかもしれないと思ったのは、このような理由からでした。
女性らしいことに抵抗がある
私は女性ですが、物心ついたころから女性として見られることにすごく抵抗があるんです…この矛盾なんなんでしょうか。
女性扱いをされるとうわっ、、と思ってしまうというか。べとべとしたものが手についたような嫌な感覚を受けてしまいます。
以前、コラム『アクセサリーと私の気持ち』でも少し触れましたが、露出したり、アクセサリーやスカートなどで女性らしさを強調することが昔からすごく苦手でしたね…今はだいぶ割り切れてきましたが。
実家で暮らしていたころは、台所に入ったり炊事や配膳の手伝いすらなんとなく生理的にイヤで避けていました。
また、いっとき妊活をしてみて初めて知ったのですが、妊娠・出産に強い抵抗があり…心の中でブレーキがかかる感覚がありました。
こういうのって理解してもらえないというか…思い返してみるとその感覚の違いで人と意見が食い違うことが結構ありました。
男性に負けたくない気持ちがある
これもよく考えたら変な話で、なかなか共感してもらいづらいと思うのですが…。
大切なパートナーに対して、基本「守ってあげたい」「俺が必ず幸せにする」と思っています。かっこつけてしまいます。
やけに男前やん
逆にマイナス面でいうと「負けたくない」というような張り合う気持ちがあります。
これは年の近い弟がいたら自然なことなんだろう…と思ってきたのですが、よく考えてみたら弟のいる姉だからといって他の子はそうなってないんですよね。
幼少期は弟を守ってきましたが、成長期になり身長や強さで弟に追い越されたときは絶望しましたね…兄的な心境だったのかも。
でも、実は男性に対する恐怖心が強いタイプなので、自分は男性ではないなと感じています。
そしてパートナーは男性ですが、いい意味で「男らしくない」夫とは性別を意識しなくていい、心から安心できる関係性です。
憧れる・共感する人物の多くが中性的
憧れたり、考え方に深く共感したりする人物が、中性的な人ばかりというのも理由のひとつ。
お菓子作りをしていたり繊細な感覚を持った男性、起業したり自立心の旺盛な女性やボーイッシュな女性などに魅力を感じます。
例えば、ぱっと思いつくのが、
- HUNTER×HUNTERのクラピカ(外見が女性っぽい男性?)
- 進撃の巨人のハンジ(外見や振る舞いが男性っぽい女性?)など。
性別にとらわれない柔軟な感性を持つオードリー・タンさん、落合陽一さん、辻仁成さん、マツコさん、りゅうちぇるさんの考え方もすごく好きですね。
でも私の恋愛対象はおそらく男性のほうなんですよね…女性にも強く魅かれることはあれど。
実はLGBTQをはじめとする性別の分類には、様々なバリエーションや度合いがあるようです。
LGBTの見分け方…?
LGBTと聞くと一部の人達の話だと思ってしまいがちですが、人それぞれ、グラデーションのように細かく異なっているそうです。

多くの人が当てはまる性別だから普通だとか、少数派だから変という考えこそが不自然だった…ということに私も最近気づかされたばかり。
世の中には男と女しかいない??異性を好きになるのが当たり前?どこからが恋愛、憧れ、友情?!
性のありかたは「グラデーション」だと言われています。これは「境目がはっきりしていない」という意味です。好きというキモチにおける恋愛や友情の境目も、男の子と女の子の境目も、実ははっきりとしたものではありません。
引用:PILCON think about love & life
WEBの検索エンジンで「LGBT」と入力すると「診断」「チェック」などのサジェストが出てきます。
自分がどのような属性なのか気になる人が多いようですね!
私もこの『セクシュアリティ診断』をやってみましたが、この結果はあくまでも
「本来LGBTとそうでない人を分けるものではない」「自分がLGBTに当てはまらないと思っている人自身にも固有のセクシュアリティがあるということを知ってほしい」
といった目的で作られています。
あくまで考えるきっかけですね!
性のあり方には4つの要素があると言われています。
①生物学的な性(からだの性)
②性的指向(好きになる性、どんな性別にひかれるか)
③性自認(こころの性、自分をどんな性別だと思うか)
④性表現(らしさの性、どのように自分を表現するか)
引用:PILCON think about love & life
このすべてがひとつの性に一致するとは限らないんですね。
それぞれ違うのは自然なこと
私が『ノンバイナリー』に該当するのかどうか、はっきり決めたり周囲の人に言ったりするつもりは今のところありません。単に女性としての自分に傷を負っているだけかもしれません。
その言葉が示すのと同じように、自分の性別について「どちらでもいいかな」「決めたくないな」なんて思っていて、「ノンバイナリー」という価値観を知ったことで心が軽くなったのは事実。
しかし自分の性別に誇りを持っていたり、性別に関して傷ついた経験のある人にとっては、おそらくどちらでもいいことではないでしょう。
また、自分と違う考えを受け入れるのには生理的な抵抗があったり、自分自身が否定されたような気持ちになる人がいるのも仕方のないことです。
心の中は人それぞれ。自分が受け入れてほしいのと同じように、他の人も自分を受け入れてほしい。思いやりの気持ちは「おたがいさま」で持っていたいですよね。
宇多田さんの発言をとりあげて「カミングアウト」なんて書いてる記事もありましたが、なんだかおかしいですよね。決めるのも決めないのも、言うのも言わないのも本人の自由。
なぜこんなに細かく名前をつけて分類する必要があるのか。それは、これまで「自分はマイノリティだ」と傷ついてきた人にとって、それらの言葉が希望の灯火になるからではないでしょうか。
公衆トイレや大浴場など、やはり便宜上どうしても男女を分けなければいけない場面もありますが、
- フォーマルな場面では、女性はスカートやハイヒールでなければならない
- 女性ならば料理ができないといけない
- 男性だから男らしくないといけない
- これぐらい男なら我慢するべき
- 男性を上座に座らせないと失礼にあたる
というような、意味のない区別は今後なくなっていったら最高だな…と思います。
知らんけど。